よく理系出身だと思われているけれど、僕は文系大学の出身で社会学を専攻していた。
興味のある分野は文化人類学で、人は何を根拠に意思決定をしているのか
ということをよく考えていたし、今でもずっと考えている。
これは、ロジカルシンキング的な意思決定の話ではなくて、
- 「自分がこれをやりたい!」と思っていることは、本当に自分が決めたことなのか?
- その人が育った文化や、受けた教育といった外的環境が影響している部分が大きいんじゃないか?
- じゃあ本当に「自分」が決めた部分は実はすんごく小さい部分なんじゃないか?
- ところで本当の自分って何なのか?
みたいな話。アイデンティティの形成について考えているのかもしれない。
そんなぼくにとって、今回のホストファミリーの受け入れを通して出会った人は、
自分にめっちゃ多くの刺激を与えてくれて、どんどん自分の常識を崩してくれた。
どんな人にあったのかというと、、
■Aさん
うちに来た子。この子はノルウェー人。そして両親はチリ出身。
つまりチリ人の移民家族。
彼女の生活は、食事はチリ料理で、家族との会話はスペイン語、
友達とはノルウェー語でコミュニケーションを取っている。
■友人B
彼女もノルウェー人。そして父親はオーストラリア人、母親はノルウェー人。
つまりオーストラリア人とノルウェー人のミックス。
彼女のLINEアカウントにはノルウェーの国旗、オーストラリアの国旗、日本の国旗、最後にハートマークが並んでいる。
■友人C
彼女もノルウェー人。両親の事は聞いていないけれどおそらく両親ともにノルウェー人。
そして彼女の家族は、彼女が1歳から10歳までの間日本に住んでいた。
その間、彼女は普通の日本の小学校に通い、日本人の友達と一緒に日本人の先生から日本語で授業を受けていた。
日本語はノルウェーに帰ったらほとんど忘れちゃったって言ってたけど(笑)
■友人D
彼女もノルウェー人。彼女の両親はノルウェー人。
おそらく彼女はノルウェーで生まれ、ずっとノルウェーで育ってきた。
大学では政治学を先行。日本と北朝鮮の外交問題をテーマに勉強していた。
この分野について、彼女はぼくよりもずっと日本の状況に詳しい。
■大学で見かけたEさん
彼女はベトナム人。
そしてフィンランドの大学に通い、今回は日本の大学に5ヶ月間留学に来ていた。
彼女は留学の最後の修了パーティーで、ベトナムの歌を歌い、踊りを披露してくれた。
こんな風に、日本で普通に生活をしているだけでは絶対に出会うことのできない学生と出会うことができた。
その出会いから僕は、
- 国籍とは一体何なのか
- 家族とは一体何なのか
- ◯◯人と言う表現は果たして意味を持つのだろうか
といったことをぐるぐると考えてる。
Aさん~Dさんの4人は、「ノルウェー人」。
でも、おそらく彼女たち4人は、同じものを見たとき、そこから受け取る感情や、
そこから生み出す表現は全く異なるものになると思う。
Eさんは「ベトナム人」
だけど違う国の大学に通い、そこからさらに別の国の大学に留学している。
日本人の多くの人は、親は日本人だし、おじいちゃん・おばあちゃんも日本人だし、
その上も日本人、ずーっとずっと日本人。
日本で生まれて日本で育ち、海外にはちょっと旅行に行く程度。
すごーく狭い世界で、濃い血筋が続いている。
なので「日本人」という言葉はとても意味がある言葉になる。
でもこれからどんどんオンライン上の世界が発展していくと、
日本みたいな島国でも国境を越えた体験が低コストでできるようになるはず。
そのとき、そもそも「国境」ってどう意味を持つことになるのか。
良いとか、悪いとか、そういう話でなく
これが普通だと思っているけど、本当に普通なんかな?
真っ白なところに自分で色を付けて自分を作ってきたつもりだけど、知らないうちに自分以外の人も色を付けてるのかな?
いや、もしかしからそもそも真っ白じゃないんかな?
考えても考えても答えはでない。
こんな、資本主義社会にはまったく役に立たないことを、きっとこれからも探求していく。
ぐっちー
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